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戦時中とアミノ酸液

混合・混合醸造とは「アミノ酸液」などを加えた醸造法。アミノ酸液は大豆などの穀物を塩酸で分解した「旨味」の液体で、甘味料を併用して使うことが多いため甘い醤油と表現されることが多い。

初まりは1907年。東京帝国大学の池田菊きくなえ苗教授が昆布から抽出したグルタミン酸ナトリウムが旨味であると発見し、甘味・酸味・塩味・苦味に次ぐ第五の味と提案。その後、旨味を抽出する技術が開発され「味の素」などの商品が流通していく。醤油業界でも脱脂大豆を塩酸で分解した粗製アミノ酸液を醤油に添加する試みが開始されるが、戦時中の1940年頃になると物資は一層不足し、アミノ酸液に甘味料やカラメル色素などを化学調味料を加えただけで、醸造しない化学的な醤油が市場に出回るようになる。

そして、1948年に醤油業界に大きな危機が訪れる。GHQは脱脂加工大豆の原料配分を「醤油醸造業界2、アミノ酸業界8」とすると決めたのだ。つまり醤油の原料となる大豆が手に入らなくなり、醸造した醤油が造れなくなった。その根拠は①醤油の製造には約1年かかる。食糧難の時代に悠長な製法は認められない。②原料の利用率が約60%で、残りの40%は粕になってしまう利用率の悪い調味料の造り方は論外である。この2点であった。

その危機を救ったのが、キッコーマンの技術者が開発した「新式2号製造法」。これは半化学・半醸造する新しい製造方法で、アミノ酸も使ってアミノ酸醤油並みの高歩留まりにしつつも、醤油メーカーとしては守りたい「醸造」もする折衷案。

そして、特許を独占することなくその醸造法を全国の醤油メーカーに教え歩き、結果として脱脂加工大豆の配給は7:3と逆転。醸造した醤油が残ることになる。そして一時は今で言う「混合醸造」に近い醤油が日本全体で流通した。その後原料が確保できるようになると、本醸造方式に戻っていく地域もあれば、混合や混合醸造方式に名称を変え、地域の味として残っている場合もある。