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江戸で発展した醤油

日本の醤油は日本で生まれた

歴史上の資料に「醤油」の文字が登場したのは安土桃山時代。当時の日常用語辞典である易林本節用集の中に記されています。では、そこが醤油の起源かというと、必ずしもそうではなくて、それ以前に醤油らしいもの、または醤油の原型になるものは存在していたと思われます。

醤油の原型「魚醤・肉醤・草醤・穀醤」

穀物を塩漬けにしたものということでいえば弥生時代にはあったようです。また、中国最古の農業書「斉民要術」につくり方が書かれており、飛鳥時代に日本にも「醤」が伝わったとされています。醤は大きく三つに分類されます。魚や肉を塩漬けにした「魚醤」や「肉醤」。野菜を塩漬けした「草醤」。そして穀物を塩漬けしたものが「穀醤」で、醤油や味噌の原型といわれています。

また、鎌倉時代に覚心というお坊さんが中国から持ち帰った径山寺味噌の製法があって、味噌桶の底に溜まった液体がおいしかったということが醤油の原型になったという説もあります。和歌山県の湯浅が醤油の発祥の地と言われる由縁です。

醤油が西から東へ

本格的に醤油が生産されるようになったのは江戸時代。関ヶ原の戦い以降、江戸の人口が増し、急激に発展する際に上方文化の影響を受けました。1726年には「下り醤油」と呼ばれ、堺や大阪から運ばれてくる醤油が約76%を占めていましたが、次第に千葉県を中心に関東の醤油の質が向上し、1821年の醤油問屋の上申書によると125万樽のうち下り醤油はわずか2万樽にまで減少しています。

そして全国に広がる

その背景には、江戸川や利根川を使った水運で江戸に早く届けることができたこと。そして、江戸の嗜好に合う濃口醤油が開発されたことがあるようです。天ぷらや蒲焼、寿司といった日本を代表する料理が完成するのもこの時期で、醤油が食文化に欠かせないものとなっていきます。

一方、近畿地方では淡口醤油が確立され普及していきます。農村では依然として自家製が続きますが、大正時代からガラス瓶の容器が使われるようになり、昭和になると物流網が整備させると全国の一般家庭へも広く行きわたるようになりました。

世界の調味料へ

日本の醤油がはじめて海を渡るのは江戸幕府の鎖国政策下の出島貿易です。オランダ船によってアジアやヨーロッパに輸出された記録は残っていますが、開国後も輸出量は限られたものだったようです。明治時代に入ると海外移民が増えます。日清日露戦争後は台湾、朝鮮、サハリンの領有、満州国の建設によって日本人の海外生活者がさらに増加し、海外での醤油の需要も高まっていきます。

大きく量を増やすのは第二次世界大戦後から。キッコーマンが醤油を焦がしたこうばしい香りと鶏肉をあわせた「照り焼き」をアメリカのスーパーで試食販売したことから始まります。第二次世界大戦後の占領軍として多くのアメリカ人が醤油に触れ、帰国後も自国で使うようになったことも後押しとなったようです。地道な努力を積み重ね、1973年にはアメリカのウイスコンシン州に現地工場をついに建設。国際化は一気に加速し、今ではヨーロッパや世界各地100ヶ国以上ので親しまれています。