職人醤油の蔵元
坪水醸造
地元に必要とされるものをつくりたい
「醤油・味噌屋をやってて、
「お客様から『今すぐ醤油を持って来て』って電話をいただいたことがあるんです。話をきくと、煮物を作ろうと鍋に火をかけて、その後に醤油がないことに気づいたとか。だから、今すぐ持って来てってことなんですけど、うちの配達スタッフは持っていくんですよ」と、これをいいエピソードだと坪水さんは言います。
エリアを越えて配達をすること
坪水醸造では配達エリアをブロックに分け、それぞれに担当を付けているそうです。ところが、顧客から別の顧客を紹介された時、それが自分のエリア外だったりすることもあるそうです。「エリアを越えて配達をしていたら非効率ですよね。確かに最初はそう思っていたのですが、今は考えが違います」と、坪水さん。
非効率を超えるものがある
「きっかけは地元のお祭りだったんですけど、うちの配達スタッフとお客様との会話を耳にしたんです。明らかに売り手と買い手の関係ではないというか、友人とか家族のようなやりとりなんですよね」と、嬉しそうに話を続けます。
「当然、その配達スタッフとお客様との関係です。勝手口から入っていける関係だったり、飲食店のご主人から倉庫の鍵を預かる関係だったり。これがうちの強みだと思っています」。
家業に戻るまでの紆余曲折
そんな坪水さんが家業に戻ってきたのは30歳の時。「その数年前に父から連絡があったんです。継がないなら、醤油屋はたたむからはっきりしろと。それで30歳で戻ると約束をして2社ほど経験をさせていただいてから戻りました」。
東京農業大学を卒業している坪水さん。ただ、大学入学時は建築の道に進むか迷っていたそうです。「結局ビビって農大にしましたが、入学してすぐに挫折です。好きなことに没頭している人って目の色が違うんですよね。勝てないなって感じました…」。
普通の醤油屋が歩む道じゃないですよね!(笑)
「いろいろなアルバイトをしました。人の輪も自然と広がってきて、ミュージシャンとかいろいろですね。まぁ、醸造とは無縁の人たちばかりです。極めつけは就職活動だったんですけど、同じようなスーツの集団が入っていく会場に入りたくないと思い、就職活動をやめてしまいました」。
「卒業後はインテリアの学校に入り直し、その分野で一度は就職をしました。でも、もやもやした気持ちでいたんです。そこに親父からの電話があって、心が定まった気がしています」。
地域から求められることに応えたい
「今ではすっかり迷いはなくなっています。誤解を恐れずにいえば、醤油味噌でなくてもいいし、坪水家がなくなってもいいんです。地域から必要とされるものを届け続けたい。ここは明確になっています」。
「この地域の人たちが求めてくれる限り、絶対に醤油味噌で困らないようにしたいですし、新しいことも果敢に取り入れて、例え最後の一人になってしまってもそこまでお届けするつもりでいます」。