職人醤油の蔵元
玉鈴醤油
先を見据えた醤油づくりで地元直販7割
「タマスズさんだから・・・」とよく言われたそうです。福島県では昭和40年代の組合設立をきっかけに工場を集約化して自社仕込みをやめていく傾向にありました。「うちは造りをやめない!」と言った時も、10年前ににだし醤油を挑んだ時も周囲からはそう言われたそうです。ただ、それは先々を見通した考えがあったからこそ・・・
安売りをしたくなかったから
「業界として大量生産で安売り路線にというのが流れでしたけど、その流れに乗りたくなかったというのが一番の理由です。そのためには自分たちで原料からつくり続けていかないといけない。そう考えたのです。」
ただ、組合に加わりながら自社生産を続けることは簡単ではありませんし、さらに販売していくことはもっと大変だったそうです。周囲の価格はどんどん下がるので価格差は広がっていきます。1リットルで倍くらいの差になる時もあったとか・・・
それでも頑なに自社生産にこだわり顧客の声に耳を傾けた結果、他社より少し甘めにした味付けが支持されていったそうです。今でも7割以上は直販をしていて、4人の営業マンが日々配達に走り回っているそうです。
次の転機は10年ほど前。
醤油にだしを加えた「だしじょうゆ」の開発に挑みました。「これからはしょっぱいだけの醤油だけではいけないと感じていました。ただ、市販のものはしょっぱくて美味しくない。自分たちがつくるならどうするか・・・そこからのスタートでした。」
醤油メーカーとしては醤油をたくさん使いたい。その想いは分かる。分かるけど、「食べて美味しい」を基準とするのであればだしを多くしないといけない。そして、だしの質を高めないといけないと考えたそうです。
「醤油が売れないからだし醤油に走ったんだろう!」そんな声も聞こえてきたそうです。でも、試食会で目の前の子供がお皿までなめている姿を見ると間違っていないと感じたそうです。
そして、今では多くのメーカーがだし醤油をつくっています。地元重視で地元の消費者の声に耳を傾け、ちょっと先の将来を見据えて醤油づくりをする。玉鈴醤油はそんな蔵元です。
営業は苦手。醤油づくりは癒しの時間。
「歴史が好きだったので本に関する仕事がしたかった。」と話すのは鈴木利幸社長。「元々接客が苦手で、今でも営業に出かける前日はドキドキしているんですよ。でも醤油づくりの現場に入っていると不思議と落ちつくんですよね!」力仕事も多い醤油づくりの現場。これを癒しの時間と言い切るつくり手は珍しいと思います。
先代から「どうする?」と聞かれて。
「元々は姉が家業を継ぐものだと思っていたのです。そのつもりで大学では図書館の司書になる勉強をしていました。ところが、20歳になったときに姉が結婚して、父親から「どうする?」と聞かれたんです。」
どっぷりと研究室に3年間
「そこで半年間、醤油組合で修業するつもりでいました。そこで運命の出会いというか・・・農大の先生からしっかり勉強するなら農大においでと誘われたのです。さすがに4年は長いのでせめて短大にしてほしいと願い出たのですが・・・・」
「無菌状態での醤油造りや、塩を使わない醤油づくりなど、知るほどに研究が楽しくなってしまって、今度は1年延長させて欲しいと願い出てしまったのです。結局3年間研究室にこもっていましたね。」
昔からこうではなくて、その背景を。
「醤油づくりの場合、昔からこうするのだと伝えられていることがあります。ただ、それらを教わった『作業』として捉えるのではなく、その背景にある意味合いを理解することが大切だと思っています。」
「醤油は微生物と共につくるものなので、その作業の理由が分かっていると微生物との接し方が変わってくると思うのです。」
地元に根付いて醤油にもしっかり向かい合う。派手さはないかもしれないけど、安心感を感じる醤油蔵だと思います。「身の丈にあった商売をしていきたい。」そう力強く語る姿が印象的でした。
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